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肥後同田貫 超豪壮大切先96ミリ 身幅35ミリ超 保存刀剣
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同田貫派は古刀末期の永禄、天文頃を中心として栄えた一門で元は延寿系です。加藤清正公に抱えられて如何にも実用的な大身槍や、本作のような豪壮刀を鍛えて大いに 繁栄しました。 中でも著名なのが正国で、初銘を国勝といい後に清正の一字を与えられ正国と改めたと言われていますが多くは上野介と切ります。加藤清正公に従い朝鮮役にも参加し、彼の地でもその切れ味の良さで名声を得たとされています。熊本城内にも非常用の武器として一門の鍛えた刀や槍が数百本以上収蔵されていたそうです。 特徴としては身幅広く、鎬造り、重ね厚く庵棟、中切先延びるものや大切先、反り浅く頑丈なものが多い。鍛えは板目、杢目混じるもの、流れて肌立つ。刃文は焼幅広く小湾れ、互の目、小乱れ混じり、総じてこずむ感があり、むら沸つき、匂い口締まり沈みごころとなる。帽子は乱れ込み先小丸、尖るもの、深く返り棟焼きあるものもある。茎は先栗尻、鑢目切、浅い勝手下がり。銘は九州肥後同田貫と切るもの、正国、上野介、又八、源左衛門、賢国等の個銘を切るものとある。 本作は上記の作風そのもので、特段頑強な造り込みです。 豪壮で力強い姿に加え、地肌が強く流れて杢目が混じり、帽子も激しく乱れる様子からはまさに戦道具と呼ばれるに相応しい印象を受けます。古研ぎにつき薄錆、汚れ、極小の刃毀れが見られます。研磨しても見違えると思いますがこのままでも鑑賞に支障はありません。当然刃切れもありません。 旧所有者によりますと認定書では左文字の父、実阿極めだったとのことです。 ハバキは銀無垢だと思います。上等の時代白鞘。 同田貫派は新々刀期まで続きますが、本刀は最も栄えた実用時代の作で戦場の空気を今に伝える名品です。是非とも愛蔵してください。 保存刀剣鑑定書付帯 刃長 69.2cm 反り 15mm 元幅 35.3 元重 6.8 先幅 29.6 先重 6.3mm 重量 830グラム 誤差免責 袋あり
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次郎左衛門尉勝光 生ぶ在銘打刀 室町時代後期 末古刀最上作
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次郎左衛門尉勝光 研磨良好 備前長船正系・末備前代表格名工 応永備前で盛光がその代表工であったのと同様、末備前では右京亮勝光が当時の横綱格とされています。 その右京亮勝光に次いで上手なのがその子である次郎左衛門尉勝光です。 活躍時期は永正(1504年から1521年)頃とされますのでおおよそ500年前の作となります。 本作は二字銘ですが、銘振りから次郎左衛門尉勝光による作と見受けられ、出来は小板目地に華やかな互の目が連なり、小丁子を交え、足、葉入り、砂流ししきりにかかる見栄え優れる上作です。 茎が全くの生ぶであり、鉄味良く、鑢目もしっかりと残る健全な点が好ましく、また研磨状態も良好です。 棟の極一部に薄錆がありますが拡がる物ではなく手を入れる必要はありません。ハバキも金着せ二重の上等品となっています。 刃長: 63.1cm 反り: 1.9cm 元幅: 29.5mm 元重ね: 7.3mm 先幅: 20.6mm 先重ね: 4.6mm 時代白鞘袋入り
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宝寿太刀 室町時代前期 凄まじい綾杉肌総柾目 寺社奉納刀か儀礼様式太刀拵 儀仗 保存刀剣
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刀身、拵共に異風で神秘的な空気を纏い宝刀然としています。 東北地方は非常に古い時代から鎌倉時代の中期頃まで蝦夷の豪族のお抱え鍛冶であった舞草、宝寿、月山鍛冶と呼ばれる一種変わった名前の刀匠達が相当繁栄を続けていたようです。また古い刀剣書にも平安時代の承平頃(931)を筆頭として雄安、森戸、世安、有正など多くの刀匠銘を記載していますが、これ等はみな時代が古く、交通も不便で保存も悪く、伝世品は殆ど存在せず、僅かにこれらの伝統を引く宝寿鍛冶が平泉の西南の地束稲山の麓で奥州の豪族藤原氏が滅亡した後も余命を保っていました。校正古刀銘鑑には鎌倉末期の正和、嘉暦、暦応裏銘の太刀を記載しています。(常石英明著・日本刀の歴史古刀編より引用) 宝寿はその目出度い名から武家の間で祝儀、贈答用として重宝されたと言われています。 姿はやや細身で雅味ある太刀姿に総柾目の鍛えとなり、波形がランダムに連なる綾杉は古い月山を思わせます。 刃中にも鍛え目が重なり賑賑しい程です。 拵は初めて目にする様式で正直良く分かりません。武用には見えませんので寺社での儀式用か、特殊な職業で佩かれた物かと推察します。中身が宝寿という古い作ですので、いずれかの寺社で古い奉納刀に合わせて造られた物ではないでしょうか。 柄には目貫を据えず親粒の鎮座する上等な鮫皮を巻き、金具は肥後や南蛮等九州物を思わせる造形で無地でありながら品よく纏められています。 佩鐶は旧日本軍のサーベルに用いられる物とよく似ています。恐らくこうした様式は幕末から明治初期以降に用いられるようになった物ですので、拵もそのくらいの時代に造られたのだと考えています。上げても下げても幕末から明治初期でしょう。 鞘尻も鉄製ですが銀の布目象嵌が施されています。金具を見るとやはり九州金工の印象を受けます。 鞘も一見金属製のようですが、木を素地として甲冑に見られるような錆地塗を施した特殊な造りです。 鍔は鉄地、若葉を高彫りした小ぶりな作で、他の金具と作風が異なるようにも見えますが鉄味や収まり具合から生ぶと見ます。切羽も生ぶです。 鞘の先に古いアタリがある他は内外共に健全でしっかりしています。研磨も不要です。 古く珍しい作が好きな方に大切に所蔵して頂きたいです。 刃長 60.4cm 元幅 24.4mm 元重 6.4mm 先幅 15.4mm 先重 4.0mm 拵全長 87cm 古い拵袋が付いています。
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山吉兵鍔掛かる打刀拵 特別保存刀装具
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山吉兵正真在銘の鉄鍔。 縁金具と揃いの松葉の図で、本鍔が掛けられた打刀拵と共です。 一目で正真作間違い無いものと確信し日刀保の審査に出しました。拵ごと提出する事も考えましたが出来が抜きん出ていましたので鍔のみで鑑定書を取得した次第です。 拵も江戸時代後期作の本歌ですのでおそらく特別保存刀装としても指定されうる品だと思います。 前述の通り縁金具と揃いの図であり、またガタ無くピタリと収まる事から生ぶの拵と考えられる為分けての販売は致しません。名鍔ですので普段は鑑賞用に手元で楽しみ、たまに拵に掛けてあげるのが良いように思います。 山吉兵は尾張の高名な鐔工一派です。年期を切ったものはありませんが織田家の抱え鍛冶と思われる節がある事から初代の活躍時期は元亀・天正(室町時代末期)の頃と考えられています。 鐔大観では「なかんずく阿弥陀鑢の如きは、やすりの肉が大小相交つてあたかも二重に切つたやうに見える。恐らくは日本國中新古を通じて阿弥陀やすりでは、此の山吉に比肩するものはないであらう。」と絶賛されています。 本作は鑑定書では「四代」とされています。(鐔大観によると寛文1661-1673頃) 専門書では初二代に重きを置いて解説がされているのですが、本作を手に取れば四代目といえどさすが山吉、名工だと分かります。 そもそも代下がりと言っても元が古い一派故、四代でも江戸時代前期の鐔工です。赤坂上三代として名高い初代忠正は明暦三年(1657)没で三代正虎は宝永四年(1707)没ですので作鐔時期は古赤坂の中頃に該当する相当に古い作です。 出来について私見を述べますと、鉄味は尾張や肥後のとろりとした質感とは全く異なりしっとりとして繊細な絹地のようです。他に手にした事の無い感触で驚きました。鍛え方だけでなく鉄質にも理由があるのだと思います。表面には極めて細い阿弥陀鑢が圧倒される程の精密さで施されています。本数は数えられませんが片面で800~1000本くらいあるようです。目に付く意匠は走り書きしたような簡素な松葉を糸透かしで配置しているのみで潔く、古風な構図ではありますが図案のシルエットからは垢抜けた印象を受けます。銘切りも銘鑑に掲載のもの(代別の記載はなし)と酷似しています。素晴らしい作です。 寸法は縦83.3mm、横81.3mm、厚み3.3mm、茎穴28.7x9.6mm 拵について 頭は角、縁金具は赤銅磨地に松葉の図を象嵌しています。加賀金工かも知れません。 目貫はおそらく赤銅地に鍍金の三日月図で横幅60mmもある大目貫です。 柄前は親鮫のある上等な鮫皮で柄巻きもしっかりしていて実用にも全く問題ありません。切羽は金着せ。鞘も黒蝋色塗の上等品で鯉口や栗形を見れば江戸時代後期の物と判断できます。ツナギはがっしりした体配で元は豪壮な名刀が収まっていたと考えられます。 全長106cmほど。総体目立った傷みなく健全です。細かい寸法はお尋ねください。
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